Historyキウイとゼスプリの歴史

「ゼスプリ」の歴史は
1904年から

1904年

ニュージーランド北島の西海岸にあるワンガヌイ女子高校の校長イザベル・フレイザーが、中国の揚子江を約1600kmさかのぼった宜昌(イーチャン)にあるキリスト教伝道所から、「ヤンタオ」という果物の種子をニュージーランドに持ち帰りました。その種子を植物学者のアレキサンダー・アリソンに渡し栽培を依頼。アリソン氏はワンガヌイの地元農地で同種子の栽培を開始しました。

1910年

ニュージーランド初のキウイフルーツとなる、「チャイニーズ・グーズベリー」と呼ばれるスグリの一種が、ワンガヌイの南部にあるアレクサンダー・アリソンの所有地で実ったという記録が残されています。

1920年

ダンカン・アンド・デイビーズ、ブルーノ・ジャスト、ホートンズ・オブ・ヘイスティングス、フランク・メイソン、ヘイワード・ライトといった多くの種苗生産業者から、チャイニーズ グーズベリーの苗木が販売されました。ニュージーランド北島のオークランド、フィールディング、ワンガヌイ、タウランガなどで栽培が始まりました。

1924年

オークランドの種苗生産業者、ヘイワード・ライトが、グリーンの果肉のチャイニーズ・グーズベリーを開発しました。これが現在、最も一般的に栽培され、世界中で食べられている果肉が緑色のキウイフルーツです。ヘイワードの功績をたたえ、彼の名前を冠した「ヘイワード・キウイフルーツ」の名で呼ばれるようになりました。
ヘイワードは並外れた才能を持つ種苗生産業者で、新しい種苗の将来性を評価する能力に長けていました。種苗生産場を所有し、財務や営業よりも、種苗の研究開発にほとんどの時間を費やしていました。最大の成功例となったヘイワード・キウイフルーツをはじめ、ゴールドマイン・ネクタリンやパラコン・ピーチの種苗開発など、ニュージーランドの果樹栽培産業に大きく貢献しました。

1934年

ジム・マクローリンがニュージーランド北島のプレンティ湾地方にある所有地で、初めてチャイニーズ・グーズベリーを栽培しました。
ジム・マクローリンは、キウイフルーツを最初に販売した栽培業者で、輸出業者でもあり、「キウイフルーツ産業の父」と呼ばれている人物です。1937年、ジムは「馬の放牧場」として知られていた地域の半分に、チャイニーズ・グーズベリーを植え付けました。これが商用栽培の始まりだったと考えられています。第二次世界大戦の時には、さまざまな苦労があったようですが、それでも500〜600箱のキウイフルーツを販売、ニュージーランドにいたアメリカ軍人の間で人気のある果物になりました。市場の拡大には輸出が必要だと考え、ニュージーランドフルーツ連盟に訴えかけ、海外向けの果実出荷と販売を取り扱うことの同意を得ました。こうして、ニュージーランドから初のチャイニーズ・グーズベリーの輸出が実現したのです。

1952年

ジム・マクローリンとグラハム・ベイリスが、初めてイギリスへ13トンのチャイニーズ・グーズベリーを輸出しました。ニュージーランド国内でも高値で取引されていたため、急速に輸出量がのびることはありませんでした。

1959年

オークランドに本社を置く果実卸売会社「ターナーズ・アンド・グロワーズ社」が、このチャイニーズ・グーズベリーの果実を「メロネッテ」と名付け、カリフォルニア州サンフランシスコのジール社に送りました。しかし当時は、メロンとベリーに高い輸入関税が課せられていたことを知り、メロンを連想させる「メロネッテ」を変更。柔毛状の皮を持った果実がニュージーランドの国鳥であるキウイに似ていることから、親しみやすい「キウイフルーツ」という名前になりました。

1962年

フリーダ社のフリーダ・キャプランとオッペンハイマーグループが、アメリカとカナダでキウイフルーツ市場を開拓。

1970年

アメリカ・カリフォルニアで初めてキウイフルーツの収穫に成功。キウイフルーツはフランス料理のヌーベルキュイジーヌの高級食材として世界的な人気を博しました。

1977年

ロリー・アープを初代委員長とするニュージーランド・キウイフルーツ・マーケティング・ライセンシング委員会を設立。1980年代後半には、輸出業者が増え、価格競争に陥ったことから、生産者は輸出窓口の一本化を計画。1988年に生産者の収入安定を目指した運営・マーケティング組織である、ニュージーランド・キウイフルーツ・マーケティングボード(NZKBM)を設立。このころから新品種の開発も積極的に行われるようになりました。

1991年

新しい品種の嗜好試験を実施。当時「ホート16A」と呼ばれていたゴールドキウイは、テプケにあるホートリサーチ園芸研究所内で育種されました。その味覚と新鮮な黄色が独特であったため、さらなる試験が継続されることになりました。

1992年

バイオグロ・ニュージーランド認定の有機栽培キウイフルーツが、NZKMBによって初めて輸出されました。1994年には、有機栽培キウイフルーツ専用のパックハウスを建設。日本では、ニュージーランド・キウイフルーツ・マーケティングボード(ジャパン)リミテッドとして事務所を開設しました。

1997年

NZKMBはニュージーランドのキウイフルーツにブランドネームとして「ゼスプリ」という名前をつけました。「鮮やかで、元気で、健康的で、栄養分が高く、活気があり、風味がよく、喜びとエネルギーにあふれている」というキウイフルーツのイメージを、情熱をあらわすzestと、精神をあらわすspiritを組み合わせた「ゼスプリ」という造語で表現しました。

1999年

ゼスプリ インターナショナルは、トロピカルな甘さの黄色い果肉を持つゼスプリ・ゴールドキウイの品種を世界中に紹介。グリーンの果肉を持つヘイワード・キウイフルーツをゼスプリ・グリーンキウイへと商標変更しました。キウイフルーツ産業をブランディング、マーケティング、品質等を重要視する、グローバル・ビジネスへと展開する基盤を整えました。

2000年

ゼスプリ・インターナショナルを法人化し、また、ゼスプリ・ゴールドキウイが本格的に発売になりました。さらに、ゼスプリ・ゴールドキウイの北半球での産地作りをすすめ、1年間を通じてゼスプリブランドのキウイフルーツを市場に届けることを目的として、ニュージーランド以外での契約栽培を始めました。

2003年

日本で初めて国産のゼスプリ・ゴールドキウイ(愛媛産)が収穫され、市場へ出荷されました。

2004年

ニュージーランドのキウイフルーツ業界が100周年を迎えました。

2006年

日本事務所が日本法人となり、ゼスプリ インターナショナル ジャパン株式会社に社名変更。佐賀産のゼスプリ・ゴールドキウイが収穫され、市場へ出荷されました。

2012年

次世代品種ゼスプリ・サンゴールドキウイ、ゼスプリ・スウィート・グリーンキウイが販売開始。

Keyword キーワードからさがす


おすすめキーワード: